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「環境保全が未来への負債とならないために」
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「環境保全が未来への負債とならないために」
〜科学者の負うべき社会的責任〜


 環境保全がなぜ必要なのか、よく言われることは「未来の子どもたちのために」でも、環境保全に費やされる費用に回収される見込みがなければ、逆に未来への負債となってしまいます。だからといって、やらなくともいいわけではありません。必要なことは、環境保全にお金と労力を費やすことで、どれくらいの資産を、未来の子どもたちに残せるのか、それを“科学的にできるだけ正確に”予測し、効果を見込める方法に労力と費用を投下してゆくことなのです。でも、それは、とても難しいことでもあります。それゆえに、“すべき”論がまかり通り易いのです。

 環境保全による効果を“科学的にできるだけ正確に”予測し、労力と費用を投下して行くためには、自然科学だけではなく、経済的な視点が必要です。お金と物が激しく出入りする現代社会の中で、ただ漫然と、“すべき”論に寄りかかって労力と費用を費やすわけには行かないのです。そこで、今回は、この経済的な視点にたって、環境保全に必要なことを考えて行きます。環境保全についてのお話は、このコンテンツの最後に出てきます。それまでは経済のお話です。


1.出てゆくものと入ってくるもの(お金と物の収支)

出てゆくものと入ってくるもの

 国や自治体、企業を主体として、お金と物の出入りを描いたものが、図−1です。無から有を生むことはできません。ですから、必ず以下のような関係が成り立ちます。

出てゆくもの < 入ってくるもの ・・・・・・・・・・・・・(式−1−A)
入ってくるもの − 出てゆくもの = 利益 + 損失・・・・(式−1−B)

 上記のように説明すると、赤字=出てゆくもののの方が多い、を説明できていないように見えます。しかし、赤字は、借入金、つまり借金などによって国や自治体、企業を運営した結果招く状態です。借りた資金を返済できない、つまり入ってくるものが過剰になった状態の一つなのです。

 戦後、日本は他国に例をみない高度経済成長を経験しました。これは、国内の生産品が海外にたくさん売れたからこそ、できたことです。当時、国内の物価は経済が成長するとともに急激に上昇しました。それだけでなく、国内の市場も拡大(新製品の出現やライフスタイルの変化)して個人消費が増えました。生活するには、ますますお金必要となったのです。しかし、外貨の獲得が、それを上回る賃金の上昇を支えました。さらに賃金の上昇は増加した個人消費をも上回り、余った収入が貯蓄などに回されました。これが、国や自治体、企業の資金となり、雇用と市場、生産力の拡大を助けました。こんな芸当が可能だったのは、技術力だけではなく、国内の人件費が海外に比べて安かったことが理由の一つとして考えられます。日本は資源に乏しい国ですから、海外から原料を輸入し、加工して輸出することで外貨を稼ぐことになります。当時は極端な円安でした。このような為替の状態は、製品の輸出には有利ですが、原料の輸入には不利です。しかし、輸出される製品に賦課される当時の人件費は、海外から輸入したものではありません。国内の人件費を海外から見た時、円安なら安くなります。人件費だけでなく、国内の天然資源にも同じことが言えます。安い国内の天然資源を、安い国内の労働力で加工し手輸出するなら、その製品は強い国際競争力を持ちます。技術力があるなら、なおさらです。

 では、現在はどうでしょうか。円は高くなりました。国内の人件費は海外と比べても高くなりました。物価の上昇スピードは低くなり、一時はデフレ状態にすらなりました。しかし、新製品の出現やライフスタイルの変化(を企業が提案することによる)による市場の拡大は続いています。生活するためには、ますますお金が必要になる状態は続いているのです。その一方で、賃金の上昇スピードは低くなりました。非正規雇用の増加で、むしろ下がっているところもあります。それらが、どんな状態を招いているのか、次の章で考えて行きます。


2.低生産高消費社会となった日本

低生産高消費社会

 高度成長期と比べて、円は高くなりました。それにともなって、国内の人件費は海外と比べて高くなりました。物価の上昇スピードは低くなり、一時はデフレ状態にすらなりました。しかし、新製品の出現やライフスタイルの変化(を企業が提案することによる)による市場の拡大は続いています。生活するためには、ますますお金が必要になる状態は続いているのです。その一方で、賃金の上昇スピードは低くなりました。非正規雇用の増加で、むしろ下がっているところもあります。それが、どんな状態をもたらしたのかを描いたものが図−2です。

 世界的な貿易自由化の流れは、それまであった、関税や非関税障壁を減らし、海外から安い製品が輸入されるようになりました。安い海外製品が国内市場に出回ると、国内の製品は売れなくなります。農林水産業を含めて、製造業が主体であった地方の産業は衰退してゆきました。人件費が高くなったため、企業は合理化を進めました。企業の合理化によって、賃金は安く抑えられます。それでも足りず、企業は生産拠点を海外へと移しました。それが、さらに地方産業の衰退に拍車をかけました。しかし、このような企業努力によって外貨の獲得が維持されていることも、やはり事実なのでしょう。そんな企業活動は国内でも行なわれ、市場を拡大すべく、新製品の投入や新しいライフスタイルの提案が続けられています。個人消費者のお金の使い道を増やすか、さもなくば古い使い道を新しい使い道に置き換えるべく。新しい使い道を提案し、それが消費者に受け入れられた企業は生き残り、古い使い道から転換できなかった企業は淘汰される。賃金の大幅なアップが期待できない今、個人消費者の購買力を拡大させることも難い状態です。ですから、これが企業の生き残る道なのでしょう。

 大量消費が無くなったわけではありませんが、国内の個人消費の傾向は変化しているようです。大量消費とはちょっと違った、安いものを大量に買うだけではない消費。でも、やはり買う。消費は単純に拡大しているのではなく、さりとて極端な減少が見られるわけでもなく、選択的に、古いものが新しいものに置き換わって行く。これを高消費の状態が維持されているのだとすれば、地方産業の衰退は低生産の状態として対になります。低生産高消費社会、これが今の日本なのです。


3.地産地消が招くもの

地産地消が招くもの

 近頃、地産地消という言葉をよく耳にするようになりました。地元で生産されたものを地元で消費する。昔は当たり前だったことです。でもそれが、今の日本で大々的に実現したとしたら。大規模に実現することなど、ほとんど不可能に思えますが、もし実現したとしたら。それはどんな状態を招くのか。どんな状態で実現されるのか、それを描いたものが図−3です。

 国内で生産される物は、ほとんどの場合、海外から輸入されたものより高価になります。だからこそ、地方の産業が衰退したわけです。そんな高価な生産物を買い、安い海外産を買わずに、生活して行くためには、消費者の側に高い購買力が必要になります。その購買力は、労働者としての消費者に支払われる賃金で支えられるものです。安い賃金では高い国内生産物を買えません。ですから企業は、高い賃金を被雇用者に支払うために、高い利益を上げなければなりせん。海外から輸入した安価な製品を国内で売るようなやり方をせずに。それをしてしまっては、結局国内の生産物は売れなくなり、地産地消の大々的な実現は不可能になってしまうのですから。

 海外から輸入した安い製品を国内で売らずに、企業が利益を上げるにはどうしたらよいか。国内で売ることができないなら、海外で売ることです。でも、その製品は国内で売るからこそ安いのです。だから売れるのです。海外で売るためには、海外でも安くなければなりません。国内で生産した製品を海外で売る場合も同様です。でも、国内の地産地消を拡大させるためには、企業は高い人件費を払わなければなりません。これでは、国内で生産した物は、ますます海外で売れなくなります。選択できる道の一つは、世界でただ一つを目指すことです。そこしか作れないもの。そうであれば、価格の高低に関わらず、その製品を買うしかないからです。でもこれは、全ての企業でできることではありません。代替の利かないものなど、そうそうはないからです。また、そのような製品を製造できる企業、労働者ばかりでもなく、むしろ、そうでない企業や労働者の方が圧倒的に多数なのですから。もう一つの選択肢は、人件費の安い海外で生産し、これもやはり海外のどこかの、高く売れる国に売ることです。そうやって得られた利益を日本に移動させ、被雇用者に払う賃金に充てるのです。

 結果的に、国内の産業空洞化はますます進みます。大規模な地産地消の実現はますます難しくなるでしょう。また、海外の生産拠点となった国の人たちから見れば、日本の企業が行なっていることは搾取行為に見えるでしょう。自分の国の資源と人で生産し、よその国に売り。利益は日本に持ち帰る。もちろん、地元にも利益は還元されるのでしょうけど。

 地産地消費は、ほどほどにしておいた方が良いようです。


4.環境保全が未来への負債とならないために

環境保全が未来への負債とならないために

 図−1に天然資源の回復操作を書き加えたものが図−4です。さらに、個人消費者による天然資源の消費と回復操作の流れも書き加えました。このサイトの主眼である遊漁施策に最も関係する部分です。

回復操作による収支

 環境保全に投下される資金と労力はどんなものであれ、直接的に回収することはできません。ですから、それらは損失として扱うべきものです。まず、このことを直視する必要があります。そして、間接的にでも、この損失を上回る利益を生み出すことで、未来への資産を生み出す。それができなければ、環境保全に投下された資金と労力は永遠に負債となります。そのことを描いたものが図−5です。

 天然資源は使えば使うほど減ります。特に地下資源は、その由来からして、人類が利用可能な時間内に自然再生されることは望み得ません。しかし、それ以外の資源ならば、再生が全く不可能なわけではありません。だからといって、なんでも回復させればよいわけではありません。なぜなら、利用可能な資産を生み出さない費用と労力の投下は、ただの損失だからです。このことは、経理の担当者であれば常識的に知っていることです。では、何をどんなふうに回復させればよいのか、天然資源の回復操作、言い換えれば環境保全に必要な視点は以下の3つです。

(a).回復操作に費やされた費用と労力を上回る天然資源の生産高を期待できること
(b).回復された天然資源が、ある程度安価で安定して生産できること
(c).回復された天然資源が消費者の嗜好に合っていること


 アメリカでDJ法がなぜ成功したのか、上記の3点を見ればよくわかります。売れる天然資源を回復させる。それに必要ならば売れない天然資源も回復させる。必要な資金は効果を上げた活動にのみ、後払いで支払われる。売れた利益の一部を還元させて。だから、回復操作に費やされる費用が生産高を越えることはない。

 資本投下を上回る生産高、安価で安定した生産、消費者の嗜好に合致した商品、(a)〜(b)は、売れる商品を生産する上での基本的な条件です。環境保全といえども、この3点を無視した資金と労力の投下は、負債を作り出すだけの行為です。未来の子どもたちのために、地産地消、地域ブランド化、すべき論、精神論で負債が消えることは決してありません。そのような行為に寄りかかって、現実を見据えない姿勢こそ、未来への子どもたちにとって、無責任極まりないことなのです。

 環境保全において、科学者が取り組まなければならないこととは、(a)〜(b)の条件を満たす環境回復操作を見つけ出すことです。それが、この社会で生活し、研究を生業としている科学者の負うべき、社会的責任なのです。定かでない未来利益をぶちあげて、すべき論を振りかざすことは、詐欺師のすることに他なりません。




2007年10月08日 辻井 豊
2007年10月08日22:50 説明図を一点追加しました(図−5)
それに伴い「そのことを描いたものが図−5です」の一文を本文に追加しました 辻井 豊


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