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「「遊漁についての調査」と「ブラックバスの食用化はなぜ進展しないのか」」
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「遊漁についての調査」と「ブラックバスの食用化はなぜ進展しないのか」


「遊漁についての調査」

 日釣振は、昭和48年(1973年)に、かなり本格的な実態調査を行います。それによると、ライセンス制には年配者(当時)には理解があったそうですが、若年層(当時)は無関心だったそうです。また、大阪府淡水魚試験場は、昭和58年〜59年にかけて、淀川における遊漁者の地域分布と季節変化を調査します。淀川は漁業権河川ではありません。この調査によって明らかになった傾向を釣堀などに当てはめて、遊漁の潜在的な経済効果を試算してみたりしています。大阪府淡水魚試験場は、現在、「水生生物センター」に改称されました。環境を主題した研究を行っています。経済的な視点から方向転換したわけです。もっとも、大阪府のフナ養殖が下火になったことが一因かもしれません。


「ブラックバスの食用化はなぜ進展しないのか」

 わたしが子供の頃、1970年代を思い返してみると、町の商店街は活気があり、魚屋さんが何軒もありました。魚屋さんの店先には、魚が尾頭付きで並べられているわけですが、お願いすれば店で捌いてくれました。鰯や小型の鯵、鯖ならともかく、大きな魚は、やはり家庭で捌くのは大変でした。当時から共働きの家庭は多く、しかし、今ほど男女平等が言われていませんでした。女性の家庭労働は大変だったと思います。1975年後半からは、大型スーパーの進出が本格化し、商店街は廃れて行きます。魚屋さんも、一部の特殊な形態を除き、次々と姿を消して行きました。

 わたしの父は、よくオイカワ釣りに行ってました(わたしもよく連れて行ってもらいました)。釣った魚は持ち帰り、家で食べました。二ゴイなんかも食べた記憶があります。淀川で釣ったハゼや、近所の溜池で釣ったフナも食べた記憶がります。いずれも、それほど大きなサイズではありませんでした。

 ブルーギルが市場価値を失った原因は、その成長の遅さでした。替ってティラピアの養殖が始まります。しかし、養殖が軌道に乗ったかと思われた矢先、鯛の養殖技術が確立されます。ティラピアの養殖は、この影響をもろに受け、多くの養殖池が遺棄されることとなりました。一方、現在は海産魚ばかりではなく、一部の淡水魚さえ、海外で養殖され、切り身に加工されるなどして輸入されています。その方が、国内産より安価なわけです。しかも、切り身であれば大型スーパーの需要にも見合っているのです。さて、ならばバスはどうでしょうか。国内で漁獲されたものを販売するよりも、海外で養殖し、切り身加工して輸入したほうが安価ではないでしょうか。

 バスが食用として普及しないことを、政治家と行政の陰謀の結果のように言う方がいまだにいます。しかし、釣り人も食べない魚を一般の人が食べるでしょうか。例え食べたとしても、流通業者は海外に供給地を求めるでしょう。かって、滋賀県等が行っていたPRは、釣り人が対象でした。キャッチ&イート。でも、普及はしませんでした。溜池でフナを釣っても、今はよほどのことがないかりぎり食べません。それと同じことだと思います。


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