×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

「「琵琶湖流域を読む 上・下」(琵琶湖流域研究会(琵琶湖研究所) サンライズ出版)の紹介」
目次へ戻る
外来魚問題他の資料集の目次に戻る


「補足」と「今読んでいる本」と「自由主義経済」

「補足」

 先の投稿で紹介しました、「環境漁協宣言 矢作川漁協100年史」は、流域の工場から協力金の名目でお金を集め、アユ種苗の購入など・・・など、明の部分だけでなく、暗の部分にも触れています。たんなる内水面漁業万歳的な書籍ではありません。個人的には、内水面漁業を語る上でのバイブルのような文献ではないかと評価しています。


「今読んでいる本」

「琵琶湖流域を読む 上・下」琵琶湖流域研究会(琵琶湖研究所) サンライズ出版
http://www.biwacity.com/sunrise/index_com.jsp?itemClass=26345

 まだ上巻の途中までしか読んでいません。なにしろ濃い本なので。琵琶湖とその流域の辿った歴史を、有史以前から現代に至るまで、いろいろな視点から書かれています。まさに、琵琶湖とその流域には、そこで暮らしてきた人たちの血が流れているのですね。もちろん、それは琵琶湖だけに限りませんが。そう言う視点でみると、日釣振の言い訳6箇条は、人の神経を逆なでするものだなと感じます。水争い、漁業権を巡る争い、洪水、明治期以降の殖産興業、開発、政治、戦争。この書籍中、参考になるかと思われる点を少しだけ。

瀬田川洗堰と内湖の干拓:
 1905年に瀬田川洗堰が完成すると、琵琶湖の水位が安定するようになります。湖岸、内湖の干拓はここから始まります。農業用水も、河川からの取水以外に、琵琶湖からの揚水を用いる潅漑方式が現れるようになります。余呉湖、長浜市の南部などに、このような逆水潅漑施設があります。ちなみに、琵琶湖総合開発によって琵琶湖の水位はさらに安定するとともに、低下の傾向を示すようになります。しかし、台風などによる洪水は今もあり、そのたびに河川が改修されたります。その改修のあり方を巡って、反省や批判、それらを活かした改修など、水との闘いは、共生を目指す形で今も続いています。

代掻きによる濁水の琵琶湖への流入:
 代掻きによる濁水が琵琶湖に流入し、それが問題になるのは、圃場整備が切っ掛けのようです。農業揚水と農業排水を分離したことにより、農業用水の反復利用がされなくなること、ダムによって水が安定供給されるようになると、水の使い捨て傾向が強まること、などにより、代掻き水が直接河川に排水されるようになりました。県も、このことを問題視しており、濁水対策には10億円に達する費用が投入されているそうです。

伊吹山の石灰採掘:
 伊吹山の山腹には、遠めで見ても無残な採掘跡があります。これは石灰岩の採掘跡だそうです。石灰岩の採掘は、江戸時代からだそうですが、今のような無残な姿になったのは、セメント工場が出来てからだそうです。今も採掘は続いています。緑化の為に、採掘している企業が費用を投入しているそうです。


「自由主義経済」

 1991年、リオサミットが開かれ、世間には環境ブームが起こります。竹下元首相が「環境を語らねば政治家にあらず」と発言したり(多分)。1990年代は、環境が政治的にもクローズアップされた次代でした。この時代の政治家の発言や行動は、環境に値札を付けたことになるかと感じます。そして、その値札には値段が書いてありませんでした。時価であり、含み益もありで、環境は、いわば土地や株券のようなものになってしまったのかもしれません。しかし、それによって、環境が市場に登場したのです。政争の道具にもなり、利権も生まれました。しかし、あくまで「自由主義経済」の原理に拘るのであれば、それもまた必然であったのかもしれません。「自由主義経済」の社会では、市場が形成されなければ何も動かないからです。そう言う視点から「バス問題」をとらえてみると、こうなります。

「バス利用の経済」VS「バス排除の経済」:規模と将来性の大きいほうが勝つ

 不毛の一言です。

 よく、「経済面も考えてバスの利用も、、、」とする発言が今でも聞かれますが、それは上記ような構図にバス問題を封じ込めてしまう危険性を孕んでいます。わたし達が反省しなければならないこと、それは、「自由主義経済の市場原理にのみ重きを置いたがために、多くのものを失ってきた」その反省であると思います。


外来魚問題他の資料集の目次に戻る
目次へ戻る