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「環境漁協宣言 矢作川漁協100年史」(矢作川漁協100年史編集委員会 風倍社)の紹介
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「ちょっと興味深い本を見つけました」

「環境漁協宣言 矢作川漁協100年史」 矢作川漁協100年史編集委員会 風倍社
http://www.fubaisha.com/search.cgi?mode=close_up&isbn=0523-3
紹介文:「漁業協同組合の歩みと、近代化の過程で破壊された川の生態系や川とともにあった人々の暮らしをたどりながら、これまで省みられなかった河川史を再構築する。日本ではじめて描かれた河川漁協の百年史。河川環境保全の関係者必読本。」


 内水面漁業が辿ってきた歴史と、これからが分かる本です。少々高いですが、興味のある人は買って損はしないと思います。治水、利水、水産、環境、それに遊魚。漁業法の改正だけでは、遊魚の未来は暗いですね。全ての管轄が縦割りです。遊魚は水産に入ってますが。今回紹介した書籍には、流域思想の大切さが込められているように感じます。

 矢作川は明治期に明治用水の取水のために堰が作られました。そして、その堰には魚道がなく魚類の遡上が出来ませんでした。現在の矢作川は「矢作川の流域人口は、約112万人にのぼります。中〜下流部は一大農業・工業地帯であり、農業・工業・上水道用水と電力を供給するため、矢作川本流の河口から34.0km地点から80.0km地点までのわずか46.0kmの区間に7つのダムが建設されています。そのため河川利用率は1977 (昭和52) 年から1995 (平成7) 年にかけて平均40.8%と全国有数の値になっています。」(矢作川研究所よりhttp://hm.aitai.ne.jp/~yahagi/home.html:このサイトや、そのリンク先のサイトは必読ですよ!)とあるように、ダムと堰に分断された河川です。琵琶湖産のコアユの導入も古くから行われています。「環境漁協宣言 矢作川漁協100年史」から、興味深い部分を抜粋、要約します。

1978年「月刊矢作川」滋賀県淡水養殖漁業組合監事(当時)寺田利美氏へのインタビューより:
〜10年ほど前までの放流用の小アユは、河川で捕れたものと湖中で捕れたものが半々だったが、現在は最盛期の七割までもが湖中で捕れたものだという〜

本文より:
〜1975年、滋賀県漁業調整規則が改正され、体重0.5gのヒウオの漁獲が可能となる。網エリの目の制限が従来の6cmから0.9cmに緩和される。ガシャコンと呼ばれる沖すくい漁が始まる〜

魚類相調査のうち、オオクチバス、ブルーギル関係のもの:
家下川:ブラックバス1992年確認
御船川:ブラックバス2002年確認、ブルーギル1993年確認
矢作川:ブラックバス1993年確認、ブルーギル1993年確認

 なお、1990年代には、冷水病や釣果の不振などから、矢作川における放流アユのに湖産アユが占める割合は半分程度になります。それ以前は殆んどが湖産アユでした。ブラックバス、ブルーギル以外の琵琶湖産魚種の移入は、湖産アユの導入初期に、すでにありました。当初、湖産アユは、主に琵琶湖に注ぐ河川で漁獲されていました。サイズも大きく、しかも揃っていて、すぐに出荷できたそうです。1990年代には、湖産アユ種苗のかなりの部分が、湖中で小さいうちに漁獲され、業者が蓄養して育ててから出荷されていたそうです。また、河川で漁獲される場合と、湖中で漁獲される場合とでは、他の魚種が混獲される割合も種類も異なります。ちなみに、ブラックバスの大増殖は1983年〜1984年頃から、ブルーギルの大増殖は1993年〜1994年頃からです。

 はたして、矢作川のブラックバスとブルーギルは湖産アユへの混入に由来するものでしょうか?
 湖産アユ種苗が放流されている河川なら必ず拡散すると言うのであれば、もっと早くに確認されてもよいはずだと思うのですが。
 このように、湖産アユ種苗への混入が拡散の主経路であるかどうかは、判断することがとても難しいのです。


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