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「ブルーギルとブラックバスの拡散の経緯、それと釣り業界の市場動向など」
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「ブルーギルとブラックバスの拡散の経緯、それと釣り業界の市場動向などもろもろ その1」


 地域に特化した蔵書のある図書館は便利です。その地域向けの図書だけでなく、雑誌の連載の該当する部分を抜き出して製本し、それを蔵書にしていたりして、とても重宝します。もちろん著作権者に断って製本しているわけです。で、大阪市立中央図書館もそんなことをやっています。その蔵書の中に「淀川の魚たち」があります。これは、「関西のつり」(岳洋社)に1986年1月号〜1987年7月号にかけて連載された記事を編集したものです。著者は、矢田敏明氏、大阪府淡水魚試験場主任研究員(当時)です。この14ページに、以下のような記述があります。

***以下引用***
 前略
ブルーギルは淡水魚試験場が昭和40年ごろ国の研究所から導入し、養殖魚として開発するため溜め池などで飼育試験を実施しており、これらが逃げ出したもの、及び民間の人が釣魚として溜め池に放流したのが大阪府下の天然水域に分布し始めた起源といえそうである。なお、びわ湖にいるブルーギルは淡水真珠を作るイケチョウガイの増殖に使用していた魚が逃げ出したようである。
 後略
***以上引用***

 以上の記述をたよりに、大阪府淡水魚試験場業務報告を調べました。それによると、昭和47年度〜50年度の報告書に、ブルーギルの養成試験の記録があります。47年度以前のものは、報告書が確認できませんでした。51年度以降には、記載がありません。また、オオクチバスについては確認できる範囲の報告書には記載がありませんでした。ただし、記載が無いからと言って飼育していないとは限りません。主要事業になっていない(報告の義務が無い)だけで、試験池や水槽のレベルでは飼育しているかもしれません。

 記載が確認されたブルーギルの養成試験は、かなり大規模に行われています。昭和47年度版には、溜池利用開発試験として、農村における溜池の水産的利用を積極的に奨励するため、カワチブナ、ブルーギルの混用試験を実施した、とあります。山間部の溜池を利用してブルーギルの放養試験を実施したとの記述もあります。ブルーギルは、海産活魚にかわり得るものとして将来が期待されてようです。しかし、種苗の生産が難しく当時はかなりに力を入れて研究されています。休耕田を利用した養成試験もありました。また、当時は各地で養殖魚として研究されていたようです。昭和49年度版には、ブルーギルの生産は業者に浸透してきたとの記述があります。溜池にて、大量生産する研究が進んでいたようです。大阪府以外では、香川県でも溜池に放流されていたようです(ネット地元情報)。

 ブルーギルについては、昭和40年代には、各地でかなり研究されていたようです。これが、ブルーギルの当時の拡散ルートの一つである可能性は、否定できないように思います。




「ブルーギルとブラックバスの拡散の経緯、それと釣り業界の市場動向などもろもろ その2」


 前述の「淀川の魚たち」には、18ページには以下のような記述もあります。

***以下引用***
 前略
オオクチバスは淀川に侵入してわずか5年ほどのうちに、わんど・たまりのみならず本流域にも進出して生息するほどに増加している。現在のところ、エビ類を主に食べていて大きな問題を起こしていない。エビ類が減少して餌不足を生じると、希少魚を食害して全滅させる恐れもある。釣り上げた魚は、再放流せずに持ち帰って食べてほしいものである。 異常繁殖による弊害を防止すれば、ハス(ケタバス)と同じように淀川の魚たちとも共栄共存してゆけるだろう。また、世間一般からも容認されるはずである。
 後略
***以上引用***

(淀川におけるオオクチバスの確認は昭和55年、ブルーギルは昭和44年、オオクチバスについては以前から噂はあったらしい)
 また、45ページには、以下のような記述がある。

***以下引用***
 前略
佃煮として加工し売られているタモロコは、カワチブナ(ヘラブナ)と一緒にため池で養殖されたもので、生産者価格で1キログラムあたり2,000円〜3,000円もする。この値段は、アユに匹敵し、コイ・フナが1キログラムあたり400円ぐらいにすぎないことからすると、いかに高価な魚であるかがおわかりかと思う。
 後略
***以上引用***

 オオクチバスの拡散経路の一つとして、関西方面で養殖されていたヘラブナを各地に放流した際に、その放流に混入したのではないかと指摘される場合があります。しかし、養魚場では、高価なタモロコが混養されていることを考えると、この拡散経路にどの程度の可能性があるのか、細かく検証する必要があると思います。ただし、前述のように、ブルーギルが混養されている場合は、ブルーギルの拡散経路の一つになる可能性はあります。なお、カワチブナとブルーギルの混養は問題なく実施できるそうです。ヒブナとブルーギルの相性は良くないそうです。




「ブルーギルとブラックバスの拡散の経緯、それと釣り業界の市場動向などもろもろ その3」


 大阪府淡水魚試験場業務報告を調べていて、当時(昭和40年代)には、河川における魚類の生息調査に、日釣振が協力している記述がありました。このような協力関係は、大阪だけではなく、当時の新聞記事を読むと、1970年代〜1980年代初頭において、東京都下の各区で実施された魚類の生息調査では、各区の釣魚連が協力しています。以前にも書きましたが、1977年には、日釣振、全釣協、全国川とみずうみをきれいにする会(「社団法人 日本の水をきれいにする会」の前進、現在の会長は桜井新氏)の3者が協力して、国会に釣人課の設置の請願を行います。この運動は、国会までの大規模なデモ行進や、1000万人署名を実施するなど(集まったかどうか知りません)、とても大規模なものでした。ライセンス制が一般紙に特集され、日釣振が「国民釣魚法」の草案を作成したりしています。

 また、1972年5月25日の毎日新聞には、「解禁迫るアユ その現状と問題点」と題し、国立科学博物館の研究者、日本友釣り連盟、全内漁連、環境庁の4者の対談記事が掲載されます。そこでは、開発−ダムを問題視、琵琶湖総合開発に反対、漁業権は最後の砦だが補償されると無力など、今でも問題にされる点が話されます。この当時は、行政も、研究者も、釣り人も、漁師も、協力する姿勢があったわけです。もちろん、問題や争いは幾つも起こしていましたが。

 で、です。SFNの今号の例の記事です。これは、よくよく考える必要があると感じています。1970年代からあった、協力の動きは、1980年代半ばには追えなくなります。そこで、何があったのか?それを知る必要があります。参考までに、1982年〜1994年までの釣り具市場の動向を記しておきます。出展は、「戦後日本産業史」産業学会編 1995年出版です。金額の単位は億円です。なお、平成9年が釣り具市場のピークとなります。(年/億円)

1982/1,480:1983/1,490:1984/1,430:1985/1,460:1986/1,480:1987/1,400:1988/1,400:1989/1,460:1990/1,510:1991/1,680:1992/1,780:1993/1,850:1994/1,900

 ちなみに、以前にも書きましたが、「移植魚懇話会」が作られ、「つり人社」に事務所が設けられたのは、1985年10月のことです。メンバーは、研究者、全内漁連、釣り業界です。


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